5-2章 教育 / 持続可能な社会プラウトヴィレッジ 第二版

 

○一人でまとめる


 反復によって得た技術で直感を具現化し、何かが完成する。完成するものには質がある。高い質の物を作り上げるには、1人でまとめることが基本にある。無数の素材の中から数個を選び取ってまとめる作業を1人でこなすところに、隅から隅まで1つの個性でまとめられた無駄のないものが出来上がる。チームをまとめる監督は1人でなければ全体の方向性は定まらず、バンドのメンバーがただ一緒に曲を作れば個性がぶつかりあうので、代表者が曲をまとめ上げる。同じ画用紙に1人の絵描きが目の部分を描き、違う絵描きが口の部分を描いていけば、まとまりのない人物画ができあがる。


 2人で何かに取り組む場合も、1人がまとめ上げ、もう1人は自分の能力を惜しみなく提供する関係が基本になり、相手の選択肢が増えるようアイデアを提供する。この関係性は人数が増えても変わらない。つまりまとめ上げる人物の実力、経験値、人間性が高ければ、すべては問題なく進む。問題になる場合の多くは、まとめる人物の実力や人間性が足りない時、方向性が定まっていない時、そして周囲の人間が口を挟み過ぎる時となる。


○干渉を控える


 調和の取れたものは1人の人間がまとめることが基本になるが、つまりどんなことも自己責任で決定して取り組んでいくということになる。反対に他人には干渉しないことも基本になる。干渉された側は、自己責任で取り組む姿勢を邪魔されることになるため。仮に誰かに助言をしようか迷った場合は、迷うことは直感的ではないので結果的には助言しないほうが良いことが多い。


○核の要素から


 物作りを行う時は目的を持って製作することが多いが、その場合、核となる要素から作り始めると、比較的容易に無駄のない調和したものを作り出しやすくなる。核となる要素とはその製品の売りや特徴で、製品を構成する要素の中でも特に大きな影響力を持つ要素。


 例えばウェブ上の検索サイトは、検索結果の質そのものが売りとなるので、検索機能が核の要素となる。早く走る車を作るなら第1にエンジンが、第2に形状が核の要素となる。座り心地の良い椅子を作るのであれば、形状や材質など肌に接する部分が核の要素となる。料理であれば多くの場合、第1に味が、第2に盛り付けが、第3に器が核の要素となる。


 核の部分をある程度完成させるということは製品の大半を完成させたことになるので、その他の要素の特色を核の部分へ合わせるだけとなる。また完成品の質も完成前にある程度解り、完成までの日数も具体的になるので集中力を継続させやすくなる。さらに集団で取り組んでいる場合は、チームのモチベーションの維持にもつながる。


 例えば大掃除をする時、大きな家具を移動させてから隅々を掃除する。すると大部分が片付いたことになり、あとは残りの小さな部分を掃くだけになる。そしてある程度終了時間も計算できるので、集中力を維持しやすくなる。


○意識の高さ


 天職、適職を手にした人物の取り組みを目安にすると、日々どれくらいの意識の高さで取り組めば最高の質のものが生まれるのかがわかりやすくなる。意識が高いとは、いつも考えていて、純粋でひた向きで、直感にも恵まれ、深い集中力とその持続力、観察力、実行力が高いとも言える。


 天職、適職を手にした人物の生活は多くの場合規則正しく、自分を律して過ごす。他人から見れば努力家と見られることもあるが、本人からすればそうしたほうが良い結果につながり、成長にもつながるのでやりがいを感じている。つまり努力というよりはそうすることが自然で、自主的に、前向きに取り組んでいるので生活も充実する。これは天職、適職に取り組んでいるからこそ出来る行動であって、朝から晩までそれの為に生き、休憩中もそれが頭の片隅にあり、予定のすべてがそれを中心に決定される。


 つまり自分が現在取り組んでいる事柄がやがて最高のものへ進化するかどうかは、今現在の取り組み方を観察すればわかる。もし今日1日の大部分の時間を自主的に興味のある事柄に使い、目的を持って取り組み、昨日より何か進歩した部分を感じるのであれば、3年後には独自の表現を持った人物になっている。すでに3年間行っている人であれば実力者となっている。


 こういった意識レベルの違いを、職場の例で考えてみる。例えばアルバイトは社員よりも取り組む意識が低い。アルバイトは仕事そのものよりも小遣い稼ぎが主な目的なので、その仕事に割く時間は1日数時間となる。よってバイト中以外の時間に、それについて考えることはほぼない。そして社員はアルバイトとは異なり、1日のほとんどを仕事で占める。ただ多くの場合社員も生活費を稼ぐために働いており、また労働時間も会社が決定しているので自主的というわけではなく、天職、適職の人間からすれば取り組む意識は低い。そして会社の上司など社員より上の立場にある人物は、社員よりも取り組む意識が高いことが多い。よって集中力や観察力があるので社員が気づかない細かな部分にまで目が行き届く。そして社長や創業者は天職、適職であることが多く、生活のすべてを仕事に捧げている。休憩中も帰宅後も休日も仕事について考え、休むことより働くことのほうが楽しい。こういったことは一例だが、当然アルバイトや社員の中にも天職、適職の人間はいる。


 貨幣社会の仕組みでは天職、適職に出会う人は少なく、取り組む意識は全体的に低いものとなっている。意識レベルが違うもの同士では、集中力も会話の内容も時間の使い方も異なるので同じグループで働くことは難しくなる。こういった意識レベルの差は、取り組んでいる事柄が自分に合っているのかどうかで生じるものなので、合っていなければ誰でも意識は低くなり、天職であれば自然と意識は高くなる。これらは学校生活の中でも見られ、勉強ができる生徒と言うのは学校が決めた教科がその生徒にあっているというだけであって、テストの点が低い生徒は頭が悪いということではなく、その教科が本人には合っていないだけのこと。テストの点が悪い生徒の中にも美術だけは点数が良かったり、体育だけは良かったりと、生徒それぞれに適した科目がある。そして学校に得意科目がない生徒は、長い学校生活の中で劣等感や無能感を植え付けられ、非積極的な姿勢が習慣化される。


 誰でも自分に合ったことをすれば意識が高くなり、行動力にも溢れ、その分野において秀でた才能を発揮することができる。人間は意識の高い状態の取り組みにおいてのみ、質の高い結果を出すことができる。つまり自分の活動の結果を良いものにしたければ天職、適職に取り組む必要があり、多くの場合、趣味として取り組んでいる領域にそのヒントが隠れていることが多い。


○極端な取り組み


 世の中には物の見方が深く、多くの人には見えない視点で物事を分析できる人がいる。こういった人は大体実力者だが、このタイプに共通しているのは極端な経験をしてきていること。だから物の見方がより深くなる。天職、適職以外の事柄に取り組んでいる人は、そこそこの熱量、そこそこの集中力、そこそこの時間で取り組みが終わる。よって少しの苦しい経験し、少しの喜びも経験する。その分経験値も浅く、物を深く観察する経験も少ない。会社で言えば平社員にあたる。物の見方が深い人や実力者は、極端過ぎるほど取り組んだ過去がある。物凄い量の本を読む、物凄い数の作品を作る、物凄い時間練習する、物凄い時間観察する、物凄い時間考える、物凄い働く、物凄い数の人に営業をするなど、一つのことに徹底的に、病的なほどに時間を割く。だから物凄い苦しんだこともあれば、物凄く得たこともある。よって物事の極(きょく)を知る。言い換えると1日24時間でできる取り組みの限界を知るので、0からその端までのことが理解できる。だから人には見えない部分や奥深さが見え、これぐらい集中して時間をかければこのレベルに達するというのが見えてくる。会社で言えば創業者に多い。


 そして人間は自分の経験したことを話す時は言葉に力が乗る。よって会話も魅力的になり、発言に重みも増す。だから極を経験した実力者の話は面白く、平均的な経験値の人の話は深みがない。


 平均的な取り組みしかしてこなかった人は、自分の子供や身近な人が極端な取り組みをしていた場合、それを不安に感じ、注意したりやめさせたりすることがある。極端な取り組みは健康を害する危険性がある。しかし反対の見方をすると、実力者へなるための必要な階段を登っている時でもある。


 極端なことをしているときはバランスを欠いている。しかしそれを一定期間続けると、コツをつかんでくる。するとその極端な事柄の効果的な部分だけを残しながら、手を抜くところとのバランスが取れるようになる。


 極端な取り組みは誰でもできる。ただそこには条件があり、自分がとことん熱中できる興味に従っている時や天職、適職に取り組んでいる時だけとなる。それを見つければ、自然と物凄い時間をかけて取り組むことになり、実力者に成長している。


 初心者から始める場合は質より量を求め、知識が増え、実力が高まり、全体像が見えてきたら見る目が肥えてきているので、量より質に変わる。


○先読み、推進力、礼節


 組織のリーダー、経営者、スポーツ選手など、競争の世界で結果を出す人には、共通している要素がある。それは「先読み」と「推進」の能力が高いということ。例えば「これからの時代はこの製品が時代の主流になる」と先読みする経営者がいる。あとはその製品を作って形にしたり、それに必要な人材を集めてきたりする行動力、推進力が必要になる。スポーツ選手も例えば、ボクシングで試合をしている2人は、常に上体を揺らしたりジャブを出したり駆け引きをしている。つまり次の動きを先読みをしている。そして圧力(推進力)をかけ、腹や顎(あご)に重い一発を狙う。サッカー選手もドリブルで抜く選手はドリブルが上手いと表現されるが、抜く前にボクシングと同じで上体を揺らしたりフェイントをかけたりして駆け引きをし、抜く隙(すき)を探している。つまり先読みしてから推進する。守備の選手も同じで、相手がドリブルで来たら先読みをして取りに行く。足は早いが先読みで負ける守備は抜かれる。足が遅くても読み勝つ守備はボールを奪う。この原理は他のスポーツでも同じ。スポーツの監督も、自分が参加しているリーグの対戦相手の情報や、練習内容とその効果などを予測し、練習に落とし込んで選手に実行させる。つまり先読みし、推進(実行)する。


 結果を出すあらゆる個人、組織は、ほとんどがまずこの先読みで勝ち、同時に推進力(実行力)もある。先読みは頭の回転の速い人の方が有利で、よって余裕があり、直感に恵まれ、アイデアが閃き、勝負事では勝ちにつながり、ゲームも支配する。反対に余裕がない方は迷いと不安が生じ、直感的になれず、突破する方法が見えない。先読みの能力を上げるには、一つは成功体験や知識を得ること。もう一つはトレーニングで頭に通常以上の負荷をかけることがあげられる。頭に負荷をかける例は次のようなものがある。


・短期間でものすごい量の本を読む。すると脳の処理能力が高まって、思考が早くなる。

・ひたすら考え続けること。ただ好きなことに取り組んでいることが、長期継続の鍵。

・球技ではボールを持つ攻撃選手に対し、守備2人以上で取りにいく。通常の試合では攻撃選手に対しマークは1人なので、2人以上分の頭の回転の速さと決断速度が必要となり、その分先読みが速くなる。

・2つの以上の動作を同時に行い、脳の処理能力を高める。例えばお手玉やジャグリングをしながら走ったり、クイズを出したり、足で別の作業をする。

・サッカーでは例えば紅白戦でワンタッチルールにすると、次の展開を先読みしていなければパスできないので、先読みが習慣化される。他にも4色以上のビブスを着た選手を2チームに分けて紅白戦をし、同色にパス禁止やリターンパスの禁止、さらには試合中に監督の一言で青赤チームだったのが、青緑チームに急に変わるなどがある。全て次の状況の把握と判断のスピードに負荷がかかっている。



 頭に負荷をかけるには、一つのことをするのではなく、2つ以上の要素を同時に実行させる。それにより脳の思考速度、許容量、決断速度が高まる。この脳の先読み能力が高いほど、結果につながる。個人でも組織でも能力別に所属リーグや階層が決定されているが、先読み能力が高い人ほど上位のクラスの人物となる。対戦する2人の先読み能力が同じレベルであれば、そこに身体能力など他の要素で差がつく。


 先読みと推進力、この2つが高ければ結果は出るが、そこに人間として礼節(礼儀と節度)が伴えば最高となる。誰でも愛想が良くて、思いやりがあり、挨拶もお礼もでき、チームのために仲間と協調できる人を好む。礼節がない人物は人から嫌われるので、チャンスの機会が減る。それでも能力があれば結果は出せるが、多くの良い機会を逃すことになる。礼節ある人物がリーダーであると、集団内では良い人間関係の輪が生まれるので、お互いを尊重し合う集団ができる。仕事はできるが礼節がない人物がリーダーになると、居心地が悪く、助け合いの精神が薄い集団になる。


○成功体験


 取り組んでいる事柄において結果が出せるようになり、実力もつき、数字も伴い、成功を収めると、注目され、周囲が賞賛してくれ、自分の意見に周囲が耳を傾けてくれ、やりがいもあり、自信も溢れる。


 大きな成功体験は物事が成功するまでの過程を学べる経験でもあり、人生では大きな財産となり、自信にもなる。その後別のことに取り組んでも、すでに成功体験があると結果を出しやすい。やればできるという自信があり、成功までの過程を新しい取り組みに当てはめてイメージできるため。


 ところが、大きな成功体験をしても、そこに人生のゴールを感じることはない。そこには明るい気分になる要素が多いだけで、苦しみがゼロになることもない。ただ、その成功体験から、そこには人生のゴールがないということを知れる経験がある。すると次に考えるのは、では人生の目的は何だろうということ。それは先にも述べた、幸せと苦しみの両極端の間にある無心に答えがある。そこに執着や苦しみを離れた何にも囚われない穏やかな状態がある。人間の自我は常に何かを手にしたいと望んでおり、気づけば獲得が人生の目的になっているということがある。


○継続、飽き、変化


 継続できないことは意思の弱さだと思われがちだが、誰でも興味のないことを継続することは難しい。興味ある異性に毎日電話はできても、そうでない異性には難しい。継続できなければ自分には適してなかったと思って次へ進めば良いだけで、好奇心から天職、適職の発見、そして継続へと続き、次に来るのは飽きとなる。


 継続すれば大抵のことは飽きる。飽きるまでの期間は人によって様々で、3日で飽きる人や一生続けても飽きない人もいる。人によって目的や極めたいことが異なるので、期間は変わってくる。長期間継続して飽きるというのは、その事柄が嫌いになったというよりは、たまに行うくらいで程良くなるということで、卒業の時期でもある。学生時代に毎日続けた部活動も、卒業後はたまに行う程度でほどよくなるようなもの。人間は常に興味や求めるものが変化していくので、同じ場所に留まっていれば周りが変化してしまい取り残されてしまう。継続できないこと、飽きること、興味が変わることは自然な現象であって、固執せず、常に変化することを認識し、今は何に興味が向いているのかに集中して取り組むことが良く、変化を認めることが結果的に良い。


○デジタル機器について


 教育とデジタル機器は密接だが、子供から大人まで、携帯電話、パソコン、テレビの使用には良い点と悪い点がある。それを親と子が学び、使用方法を話し合う。

 

 

【使用する良い点】

・情報収集が容易

・連絡がすぐ取れる

・幼いうちからデジタル機器に慣れる。

 

 

【使用する悪い点】

・暇つぶしに動画やSNSなどを見ると脳に必要な休憩時間がなくなり、そのため脳過労に陥り、脳が成長せず衰える。人格や能力は脳の成長量と密接で、思いやり、理解力、自制心、計画性の欠如などにつながっている。

・ゲームやSNSなどの依存症になりやすい。

・電源が入っていなくてもスマホが目に入る位置にあるだけで、作業や勉強に100%集中できなくなる。その分、結果に悪影響があり、能力も身につきにくくなる。

・小さな画面を長時間見ることで、目や体が疲れやすい。

・共感能力の低い子供や大人によるネット上のいじめが起こる。


 こういったことを踏まえ、次の習慣をプラウトヴィレッジは推奨する。


・親と子は脳が情報を取り込んだ後、無心になって整理する時間が必要であることを知る。それがないと脳過労を起こし、成長が止まり、脳機能が低下する。

・自主的な勉強や作品作り以外、暇つぶしの携帯電話、パソコン、テレビの使用は、1日1時間以内を推奨する。特に動画、SNS、ゲームなど。

・作業中、勉強中はスマホを近くに置いておくだけで集中できないので、見えない所に置いておく。


 お酒も適度に飲めば楽しめる。人間関係も適度な距離感を保てば礼儀と節度ある良い関係が続く。携帯電話やインターネットも、適度に使用すれば便利で楽しめる。問題は過剰に依存するレベルになった時。


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