■紀元前2000年頃
メキシコのマヤ文明
マヤの創成神話も各地の神話と類似点が見られた。神話ポポル・ヴフでは無を、ただ静かな海と限りなくひろがる空と表している。そして創造主(ツァコル)と形成主(ビトル)、テペウとグクマッツ(ククルカン)、アロムとクァホロムだけが水の中で輝いていた。テペウとグクマッツが叫ぶと水の中から大地、山々が生み出され、その後、動物なども作られた。
マヤ文明の遺跡チチェン・イッツァのボールコートと戦士の神殿には、切込み接(は)ぎの石積みと蛇の頭像がある。
ククルカンの神殿には2匹の蛇の頭像があり、階段側面に影ができることで蛇の体がジグザグになって現れ、下部の頭像と合体する。ジグザグ模様も2匹の蛇も共通シンボルだった。ククルカンは別名グクマッツとも呼ばれる神。つまりこの神殿も無を表したもの。
戦士の神殿も、2つの黄金比を重ねた時にできる比率で設計されている。
グアテマラ北部、マヤの祭祀センターのサン・バルトロの壁画の黄金比の渦模様。
マヤ文明にある無数のピラミッド。
■紀元前1200年頃
アメリカ、ユタ州のキャニオンランズ国立公園
ここにある岩面彫刻にも2匹の蛇が見られる。これはアメリカ先住民の古代プエブロ人の痕跡とされている。
黒い人物の左右に2匹の蛇。
■紀元前1000年頃
イタリアのサルデーニャ島
地中海のサルデーニャ島の胸の出た女神像、切込み接(は)ぎの石積み、ジッグラト。伝説ではサルデーニャ島の先住民は巨人で、それがカブラスの石像。
三角形の入り口。
■紀元前950年頃
ソロモン神殿完成とヒラム・アビフ
次の1905年に公表されたソロモン神殿の平面図にも、黄金比の比率が見られる。
ソロモン神殿にはボアズとヤキンという柱があり、上にはザクロが置かれていた。ザクロもメソポタミアで見られ、シンボルだった。
ソロモン神殿には日本の神社などで見られるような2体の獅子像もあったとされ、旧約聖書には次のように描かれている。
列王記上
(ソロモンが自分の宮殿を建てた内容について)
7:36
そのささえの表面と鏡板には、それぞれの場所に、ケルビムと、雄獅子と、なつめやしの木を刻み、その周囲には花模様を刻んだ。
10:18
(ソロモン)王は大きな象牙の王座を作り、これに純粋な金をかぶせた。
10:19
その王座には六つの段があり、王座の背には子牛の頭があり、座席の両側にひじかけがあり、そのひじかけのわきには二頭の雄獅子が立っていた。
■紀元前900年頃
トルコのカウノス
トルコにある古代都市カウノスにも、切込み接(は)ぎの石積みがある。ここには岩盤をくり抜いて作った遺跡もある。
一つ上の画像の岩盤に彫刻された建物のデザインは、サバジオスやタニトの浮き彫りに見られる。三角形の屋根、柱、その2つの接合部分が太いなどが共通。
■紀元前800年
スキタイ
紀元前800年〜前201年頃まで、イラン系遊牧騎馬民族スキタイはウクライナを中心に活動していた。
スキタイ美術でも共通シンボルが見られる。ここでは下部の生命の樹のナツメヤシ、上部のライオン。
次は、ナツメヤシ、渦模様、女神。スキタイの女神はギリシア神話の海の怪物セイレーンと同じポーズ。
スキタイのトヴスタ・モヒーラ古墳出土の、胸飾りの黄金比の渦模様。
黄金のベルトタイトルの無数の渦模様。
■紀元前776年
古代ギリシャのオリュンピア祭
記録に残る最初のオリュンピア祭(オリンピック)が、古代ギリシャのオリュンピアで行われた。これはゼウスの神殿が建てられた競技場(スタディオン)で開催された。
古代ギリシャのオリンポス山とオリュンポス十二神がオリンピックの語源。オリュンピア祭はゼウスに捧げられた。オリンピックにおいて選手たちはゼウスに宣誓し、彼に対して忠誠を誓う。こうして5日間の祭りで一つの神を拝み結束した。オリンピックも無へ捧げる大会というのが始まり。
ゼウスの手にも稲妻の金剛杵や鷲のシンボルも見られた。
■紀元前753年
古代ローマ帝国
古代ローマ帝国の王政時代が始まる。ロームルスに始まる伝説上の七人の王が治めていたとされる。
この初代王ロームルスも、無のシンボル的な存在。理由は赤子時代の話にある。ロームルスは母シルウィアと軍神マールスの間に、双子の子供として生まれる。しかし叔父(おじ)アムーリウスは、王位を継ぎうる双子の子を殺すように兵士に命じる。だが兵士は幼い双子を哀れんで、彼らを籠(かご)に入れて密かに川へと流す。ティベリス川の精霊ティベリーヌスは川を流れる双子を救い上げ、川の畔(ほとり)に住む雌狼(めすおおかみ)に預ける。やがて羊飼いファウストゥルスが双子を見つけると、妻アッカ・ラーレンティアと相談して引き取ることにした。彼の妻であるアッカ・ラーレンティアの正体は女神ケレースだった。
この赤子時代に籠(かご)に入れて川に流される話は、他の神話でも見られる。例えば旧約聖書のモーセ、ギリシャ神話のゼウスとダナエーの子ペルセウス、始皇帝の再誕というお告げがあった日本神話の秦河勝(はたのかわかつ)。これらについては後述している。
■紀元前591年頃
スーダンのメロエ
メロエ王国の小型のピラミッドにも、切込み接(は)ぎの石積みが見られる。
■紀元前520年頃
アケメネス朝のペルセポリス
ダレイオス1世が建設したとされるペルセポリスにも、切込み接(は)ぎの石積みが見られる。
メソポタミアの松ぼっくりを持つ浮き彫りでは、頭の上にフルール・ド・リスという紋章が見られる。
このフルール・ド・リスもペルセポリスで見られる。次の画像の左の植物の下に彫刻されている。
このフルール・ド・リスの上に乗る植物はペルセポリスの壁画にも見られる。そこには12枚花弁のシンボルも見られる。
またこの植物と同じ模様が、メソポタミアの生命の樹に見られ、そこにはハンドバックや松ぼっくりのシンボルもある。下の左がペルセポリス、右がメソポタミアの生命の樹。これも世界各地に見られる樹木崇拝と共通する。
次はペルセポリスの第10代目の王アルタクセルクセス3世の墓に見られる壁画。そこには共通シンボルの弓矢、有翼円盤、三日月、段々のある台座が彫刻されている。
次はイラン西部のケルマーンシャー州にあるベヒストゥン碑文。ここでも有翼円盤、弓矢を持った人物が見られる。この弓矢の人物に踏みつけられている人物が手を上に上げている。これもシンボル図で見られる。
メソポタミアの寝そべった人物が手を上に上げたシンボル。
ナクシェ・ロスタム
ペルセポリスの北部にはナクシェ・ロスタムの遺跡がある。
ナクシェ・ロスタムの岩壁の高いところに、4つの十字の墓が彫られている。4つの墓はダレイオス1世、クセルクセス1世、アルタクセルクセス1世、ダレイオス2世のものと言われているが、はっきりとはしていない。十字は2つの黄金比を重ねてデザインされている。
岩壁の近くのカアバイェ・ザルトシュトには、切込み接(は)ぎの石積みがある。
このカアバイェ・ザルトシュトも、2つの黄金比の比率で設計されている。
■紀元前300年頃
タフティ・サンギン遺跡
タフティ・サンギン遺跡はタジキスタンの南に位置する。ここのオクス神殿にも黄金比の比率が見られる。またこの神殿がT字になっているが、T字もトルコのギョベクリ・テペの石柱の形に見られるシンボルだった。
■紀元前250年頃
ペルガモン
トルコのペルガモンには、神ゼウスを祀った神殿があった。
ドイツのペルガモン博物館の再建された神殿にも、切込み接(は)ぎの石積みが見られる。
■紀元前210年頃
秦の始皇帝
中国の秦(しん)の始皇帝が49歳で死去したとされる。紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げると最初の皇帝となり、万里の長城、兵馬俑(へいばよう)、秦始皇帝陵の建設などを行う。始皇帝陵の存在は、史記など古代中国の歴史書に記されていた。
西安(せいあん)にある始皇帝陵もピラミッドとなっている。
この始皇帝陵の敷地とピラミッドの位置も、2つの黄金比の比率で設計されている。
始皇帝陵を取り巻くように配置された兵馬俑も始皇帝が建設したとされ、ここには8000体以上の兵士の人形がある。
紀元前214年には始皇帝によって万里の長城も建設された。
中国の西安のピラミッド
始皇帝陵がある西安近辺の咸陽市(かんようし)には、少なくとも複数の大小のピラミッドが存在する。
赤丸は西安の位置。
グーグルマップ(34°22’28.75″N108°41’12.21″E)
中国の銅鏡
紀元前200年頃の中国の銅鏡。ここにも黄金比の渦模様などのシンボルが見られる。
次の銅鏡には、黄金比、渦模様、菱形。
菱形模様はトルコのギョベクリ・テペや、ペルセポリスの有翼円盤がある壁にも見られるシンボル。
中国の後漢の銅鏡。黄金比、二重丸、ジグザグ模様。
次の銅鏡は漢の時代のもので、秦滅亡後の次の時代にあたる。ここには黄金比の渦模様、16芒星。
16芒星はメソポタミアのハンドバックを持つ腕に見られた。
左は日本の天皇の菊花紋、右はギリシャ近くの出土品で、16芒星や黄金比の渦模様が見られる。
中国と日本の銅鐸
銅鐸(どうたく)も青銅器で、黄金比、渦模様、ジグザグ模様が見られる。
三重県の銅鐸。
上の銅鐸の渦模様の下にイノシシが彫刻されている。イノシシもギョベクリ・テペの石柱に見られた共通シンボル。
ジグザグ模様と渦模様。
ジグザグ模様と菱形模様。
■紀元前200年頃
ナスカの地上絵
ペルーのナスカの地上絵にも渦模様のシンボルが3つほど見られる。
ナスカの長い直線図の端に渦模様。
猿の地上絵のシッポの渦模様。
ナスカ郊外にあるパレドネス遺跡の水路は黄金比の渦巻きでできている。
コロンビアのシヌー地方で発掘された黄金ジェットにも、渦模様のシンボルが刻まれている。コロンビアとペルーは場所が近い。
チリのアタカマ砂漠
アタカマ砂漠にも無数に地上絵が描かれており、その一つに両手を上げるポーズの絵がある。
両手を上げるポーズも世界中で見られるシンボルで、両手に蛇を持っている場合もある。
南アフリカのフェールヌークパン
年代は不明だが、南アフリカのカラハリ砂漠のフェールヌークパンには、無数の黄金比の渦模様の地上絵が描かれている。大きいものは直径が約175m。
グーグルマップ(-30° 0′ 21.64″, +21° 6′ 21.69)
■紀元前100年頃
ヨルダンのペトラ遺跡
ペトラのエル・カズネにも共通シンボルが見られる。
エル・カズネの正面の三角屋根と柱は、次のサバジオスの浮き彫りの建物と同じ。
トルコのペルガモンの神殿も、サバジオスの浮き彫りと同じデザイン。ここには切込み接(は)ぎの石積みもあった。
またレバノンのバッカス神殿やギリシャのパルテノン神殿も同じデザイン。
サウジアラビアのマダイン・サーレハ
紀元前100年頃のサウジアラビアの都市マダイン・サーレハにも、岩盤をくり抜いて作った遺跡がある。入り口付近の三角屋根と柱はサバジオスの浮き彫りと同じ。
この三角屋根の上部には、階段ピラミッドのデザインが見られる。これも共通のシンボルで、イランのジーロフト文化で見られた。
レバノンのバールベック
レバノンのバールベックには、祭神のジュピター(ユーピテル)、バッカス(バックス)、ビーナスを祀る三つの神殿がある。ジュピター(ユーピテル)はギリシャ神話のゼウスと同一視されている。
ここでも切込み接(は)ぎの石積みが見られる。
バールベックにも巨石が横たわり、重さは最大2000トンと見積もられている。
■紀元前80年
スペインのセゴビアの水道橋
政治家ユリウス・カエサルの共和政ローマ期のセゴビアの水道橋(すいどうきょう)は全長728m。ここにも切込み接(は)ぎの石積みが見られる。
■紀元前50年
メキシコのテオティワカン
テオティワカン文明には月のピラミッド、太陽のピラミッド、ケツァルコアトル神殿がある。太陽も月もケツァルコアトルも無のシンボルだった。
ケツァルコアトル神殿には、切込み接(は)ぎの石積みと黄金比の渦模様がある。
■紀元前27年
ローマ帝国の鷲の国旗
紀元前27年からのローマ帝国の国旗は鷲(わし)のデザイン。これと似たデザインはイランのジーロフト文化やトルコのギョベクリ・テペの石柱に見られた。
イランのジーロフト文化の鷲。
■紀元前12年頃
キリスト、仏陀、ビシュヌ、シヴァ、アラー、悪魔バフォメット、大天使ミカエル、アブラハムの共通点
この頃、イエス・キリストが誕生したとされる。キリスト教の悪魔バフォメットは山羊の頭を持っている。雄(おす)の容貌だが、胸の膨らみがあるなど両性具有の特徴がある。無も女神像としてや、ゼウスやミトラのように男神として、男女二つの面を持って表される。
バフォメットの腹部に、2匹の蛇の杖カドゥケウスが見られる。これもアイオーンの足元に描かれていた。
山羊(ヤギ)の頭は、サバジオスの手に描かれている。
バフォメットの両手の形が、サバジオスの手と同じ形になっている。
バフォメットの両側に三日月が描かれている。これもサバジオスの手に乗る人物の頭の上や、古代エジプトの装飾品のホルスの目の上部にも見られた。つまりバフォメットも無をシンボル的に表したもの。
また、キリスト教で光をもたらす者という意味をもつ堕天使(だてんし)にルシファーがいる。明けの明星(みょうじょう)という意味であり、堕天使の長であるサタンの別名。
南米のケツァルコアトルも、明けの明星と言われている。その耳には黄金比も見られた。
旧約聖書の創世記でサタンは最初の女性イヴに嘘をついて騙し、神から食べると死ぬと言われていた善悪の知識の木の実を食べさせた。ここでのサタンは木に巻きついた1匹の蛇として描かれている。同じ構図は、アイオーンの体に巻きついた蛇やアスクレピオスの杖として見られた。
ルシファーと双子の兄弟と言われることもある大天使ミカエルは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教においてもっとも偉大な天使の一人。ミカエルは右手に剣、左手には魂の公正さを測る秤(はかり)を持つ姿。秤もサバジオスの手で見られたシンボル。
イエス・キリストにも同じ共通点が見られる。1100年代に制作されたアギア・ソフィア大聖堂のキリストの絵と、1118年のキリストのモザイクに描かれた聖母マリアと小さなキリストの手は、バフォメット、サバジオスの手と同じ形になっている。
密教の阿吽(あうん)の2字はサンスクリット語の最初と最後の文字で、始まりと終わりを表し、無を表す言葉だった。キリスト教の新約聖書では、ヨハネの黙示録で次のようにある。「わたし(イエス・キリスト)はアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」
さらにヨハネの黙示録には、次のようにある。「わたし(イエス)は、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である」。つまりキリストは明けの明星であると述べている。ルシファー、ケツァルコアトルも明けの明星だった。これらが意味するところは、キリスト、バフォメット、ルシファー、サタン、大天使ミカエルは無のシンボルと共通している。
仏教でも、明けの明星という言葉が見られる。釈迦(しゃか)は12月8日の夜明け近く、明けの明星が輝く頃、35歳でついに悟りに至った。悟るということは無である意識として在ること。その時のナーガに守られたブッダ像では、下から蛇が巻きついて、頭の上から顔をのぞかせている。同じデザインはアイオーンにも見られた。
ナーガは釈迦が悟りを開く時に守護したとされる蛇神(じゃしん)。仏教の八大竜王の多くが、もとはインド神話のナーガラージャのこと。ナーガラージャとは2匹の蛇が絡み合った蛇神。
アフガニスタン東部のガンダーラの仏陀像では、共通のシンボルも見られる。
仏陀の光背の縁(ふち)のジグザグ模様。ギョベクリ・テペの石柱や、黄金比がある中国の銅鏡でも見られる。
仏陀の足首の左右に菱形模様。これはギョベクリ・テペの石柱やペルセポリスの壁画に見られた。
ガンダーラの仏陀像は右の手のひらを見せている。このポーズもタニトとともにシンボルとして見られる。タニトにも三日月、太陽、ジグザグ模様が見られ、共通のシンボルという結論だった。
手のひらのシンボルは、紀元前2万年頃のヨーロッパの洞窟壁画でも見られた。
つまり手のひらを見せるポーズも共通のシンボル。次の左の画像の女性も、右の手のひらを見せている。その上に左から太陽、リンガ(男性器)とヨーニ(女性器)、三日月がある。リンガは中央の画像のシヴァの象徴で、シヴァも1匹の蛇、三日月、三叉槍(さんさそう)があり、手のひらを見せている。右の日本の大仏も同じポーズだが、つまり全ては共通シンボルで表されている。
ヒンドゥー教の釈迦(仏陀)はヴィシュヌの化身と見られている。ヴィシュヌは蛇神ナーガラージャと共に描かれる。ナーガラージャは2匹の蛇。またヒンドゥー教の神話では、原初の大洋の上にヴィシュヌが巨大な体をアナンタという大蛇の上に横たえ眠っているとある。無から神が生まれる他国の創成神話との類似からも、ヴィシュヌは無という結論。
ヒンドゥー教の神クリシュナはヴィシュヌの化身で、いくつかの点で物語がキリストと似ている。他にもインカ帝国の神ビラコチャ、アステカ神話のケツァルコアトル、エジプトの神ホルス、蛇の杖を持つモーセ、ローマ帝国の建国者ロームルスも無という結論だったが、この5人とも似た話がある。また旧約聖書のアブラハムやイランのゾロアスター教の英雄フェリドゥーンにも類似の話がある。アブラハムもフェリドゥーンも無のことという結論になる。
左からクリシュナ、キリスト、ビラコチャ、フェリドゥーン、アブラハム。
「処女からの誕生」
・キリストは処女マリアから生まれた。
・ビラコチャは処女カビリャカから生まれた。
・ケツァルコアトルは処女キマルマンから生まれた。
・ホルスは処女イシスから生まれた。
「赤子の時、追っ手から逃げている」
・赤子のキリストはヘロデ王の虐殺から逃れるために、ヨセフと母マリアと共にエジプトへ避難した。
・赤子のクリシュナは、カンサ王の虐殺から逃れるために、ヤムナー川を渡っている。
・赤子のモーセは、ヘブライ人の男の新生児の殺害を命じたエジプトの王から逃れるため、生まれた後の三ヶ月間は隠されて育てられた。しかし母親は隠しきれなくなりナイル川に流した。やがて彼は王族に拾われ養子となった。
・赤子のアブラム(アブラハム)の母は、ニムロデ王がアブラムを捕まえようとするのを恐れ、アブラムを連れて家から離れ、山にあるほら穴の中に3年間姿を隠した。
・赤子のビラコチャは追ってくる父コニラヤから逃れるため、母カビリャカとパチャカマックの海岸まで行き、海に入って石になった。
・赤子で双子のロームルスは叔父(おじ)アムーリウスに命を狙われ、それを哀れんだ兵士が彼らを籠に入れて密かにティベリス川へと流す。やがて羊飼いファウストゥルスが双子を見つける。
・赤子のフェリドゥーンは母と共に、両肩に蛇を生やした暴君(ぼうくん)ザッハークの虐殺から逃れるためエルブルズ山に行き、母はフェリドゥーンを牛飼いに預けた。
「授乳する女神像」
・クリシュナと母ヤショーダ、キリストと聖母マリア、エジプトのイシス(母)とホルス(子)
この他にもフリジアの神アッティスはサバジオスと同一視される。
アッティスはローマで大地母神として知られたフリギアの女神キュベレーの息子かつ愛人で、ライオンが牽引(けんいん)するキュベレーの戦車の御者(ぎょしゃ=馬車を走らせる人)。
紀元前200年代のアフガニスタン北部の都市アイ・ハヌムからは、アッティスとキュベレーが描かれた銀製の円盤が見つかっている。そこには2頭のライオンの二輪車、三日月、16芒星が見られる。
この三日月と16芒星はメソポタミアの出土品にも見られる。
キュベレーは紀元前2千年紀にはクババとして知られる。クババは手にザクロと鏡を持った婦人の姿。ザクロもシンボルとしてメソポタミアで見られた。下の左の画像のクババの右耳の後ろの髪は渦模様のシンボル。
ヒンドゥー教のヴィシュヌとシヴァは無という結論だった。これにブラフマーを加えると、3人は同一のトリムルティと呼ばれ、この3大神も無を表したもの。これまで各宗教の神のホルス、イシス、アフラ・マズダ、ミトラ、ディオニュソスも、無という結論だった。
またキリスト教にはヤハウェという神がいる。これは旧約聖書および新約聖書における唯一神の名で、イスラム教ではアラーと呼び、ユダヤ教ではエロヒムやエル、一部のキリスト教ではエホバと呼ぶ。アラーは創世神話で無から万物を創造したとあり、類似の話は各国の神話で見られた。アラー、ヤハウェ、エロヒム、エル、エホバは同じもので、無を表した神ということ。
キリスト教の大天使ガブリエルは神のメッセンジャーで、マリアのもとに現れてイエス・キリストの誕生を告げた。イスラム教では大天使ガブリエルをジブリールと呼び、預言者ムハンマドに神の言葉の聖典コーランを伝えた存在。このガブリエルの手の形も、サバジオス、キリスト、バフォメットと同じ形。またガブリエルはルシファーと双子の兄弟と言われる大天使ミカエルと同じ翼を持ち、頭にはニンブスと呼ばれる光背(こうはい)もある。
このようにシンボルで見ていくと、キリスト、仏陀、アラー、クリシュナのような聖人とされる人物も、バフォメットやルシファーのような悪魔も、すべて無を表したもシンボルで共通していることが見えてくる。そして仏教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教の信者49億人の人々は、無を崇めているという結論。これだけではなく、先住民の自然崇拝のアニミズムも無を崇めている。つまり世界中の人々が同じ存在を崇めている。
ここまで見てきたキリスト教、エジプト神話、アッカド神話、ミトラ教、ギリシャ神話、インド神話、仏教、アステカ神話、インカ神話の登場人物は、すべて無をシンボルで表している。さらにこれらは類似の物語やシンボルを共有しており、それは出どころが同じで、各地で発展し、発展したものがさらに別の地域へ伝わって広がったものもある。
光背
光背(こうはい)とは神や聖人から発せられる光で、ニンブスとも呼ばれる。例えばイエス・キリストと聖母マリアは、頭の後ろに丸い光背が見える。光背の中の十字も共通シンボルの一つ。
受胎告知の天使ガブリエルと聖母マリアにも光背が見られる。
雷神・天候神であるインドラや、シヴァの異名ナタラージャにも光背が見られる。
日本の薬師如来像(やくしにょらいぞう)や釈迦三尊像には、黄金比の曲線や渦模様が見られる。どちらの像も上部の尖った大きな光背を持ち、頭の真後ろに正円の小さな光背がデザインされている。
仏教の五大明王も阿弥陀如来も無という結論だったが、光背を持っている。左の画像の中心にいる不動明王は、正円と炎の光背の組み合わせ。
不動明王のように光背が炎の時もあれば、仏陀とヴィシュヌとナーガラージャのように光背が蛇の姿で表されることもある。
光背はキリスト教のシンボルのプロビデンスの目(神の全能の目)や仏陀にも見られる。プロビデンスとは「すべては神の配慮によって起こっている」の意味。日本語では「神の意志」と呼ばれる。これを言いかえると、「すべては無(意識)の配慮によって起こっている」。
仏像の誕生
仏教の開祖である仏陀の死後、その姿を目に見える像に表すことは弟子たちによってきつく戒められていた。そのため仏陀はその象徴である法輪で描かれており、それがインドのアジャンター石窟群の最古の壁画で見られる。
しかし紀元前後、パキスタン西北部にあるガンダーラで仏教とギリシャ人が出会ってから、そこで仏教の大変革が起こる。仏教を信仰する人が急激に増え、仏教寺院も数多く建てられる。当時最大級の仏教寺院のラニガト遺跡からは、それまでの時代に存在しなかった仏像がいくつも発掘された。こうして初期の仏像はギリシャ彫刻の影響を受けて作られ始め、ガンダーラ美術となる。また日本の仏教の主な宗派である大乗仏教も生み出され、祈りを捧げたりお経を読んだりする信仰が、中国や日本へ広まっていく。
左は衣服の折り目がギリシア的な仏像(インド国立博物館)。右は仏像とアレキサンダー仏陀脇侍像(タパ・シュトル寺院出土)。
また左の画像はガンダーラ地方の主要都市チャールサダから出土の、紀元前1年頃までに作られた女性像。右はサル・デリー出土の地母神像。これらも、胸を触っていたり、胸が出ていたり、下半身が太いなど各地の女神像と共通している。
ブラーフミー系文字
ブラーフミー系文字、またはインド系文字は、ブラーフミー文字から派生した文字体系の一族の総称。ブラーフミー文字は南アジア、東南アジア、チベット、モンゴルのほとんどの文字体系の祖。下の地図では赤色が南アジア、オレンジ色が東南アジア、黄色にチベットやモンゴル。
ブラーフミー系文字は例えば、ヒンディー語、ネパール語、ネパール・バサ語、サンスクリット語、ビルマ語、カンボジア語、ラーオ語、タイ語、ジャワ語、バリ語、チベット語、梵字(ぼんじ)など。
ブラーフミーは「ブラフマーの創造した文字」を意味する。ブラフマーとヴィシュヌとシヴァのトリムルティは無という結論だった。
0(ゼロ)
インドの数学では0(ゼロ)をシューニャと言う。それを訳すと空(くう)となる。般若心経(はんにゃしんぎょう)の色即是空(しきそくぜくう)は「万物(色)を本質的に突き詰めると実体は存在しない(空)」の意味。神秘主義思想カバラではアインは無と訳され、0で表される。また0という字の形はサンスクリット語の0(シューニャ”०”)から来ている。つまり0、シューニャ、空(くう)、アインは同じ意味で「無」を表す。
インド・ヨーロッパ語族
インド・ヨーロッパ語族には英語、ヒンディー語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ウルドゥー語、ペルシア語、ウクライナ語、ラテン語などがある。下の地図はインド・ヨーロッパ語族の分布。
例えばパニック(Panic)の語源はギリシア神話の牧神パン。パン(Pan)は人気のない所で、突然、混乱と恐怖をもたらすとされた。父親はゼウスともヘルメースともいわれ、どちらも無を表したもの。
ローマ神話のユーピテルも無だったが、その妻ユーノーはユーノー・モネータ(Juno Moneta)ともいう。モネータは「忠告する」という意味のラテン語monereが語源で、英語のマネー(Money=お金)の語源。また木星を英語でジュピター(Jupiter)というが、それもユーピテルが語源。ローマ神話で物事の始まりの神で1月の守護神であるヤヌス(Janus)は、1月(January=ヤーヌスの月)の語源。
こういった神の名が語源になっている例はたくさんあり、それらは無を表した存在だったので、それらの名称も突き詰めていくと無を表したものということになる。
北欧
スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランドのスカンディナヴィアの北欧神話は、エッダという二冊の書物におさめられている。古い方は1056年までのことを、後の方は1640年までのことが書いてある。
エッダの創世神話は次のようになっている。
昔は上に天もなければ下に土地もなく、ただ底なしの大洋と、霧のような世界があるばかりで、その世界の中には一つの池があふれていた。霧の世界の南方には光の世界があった。空に水蒸気が起こって雲ができると、その雲からユミルと呼ぶ霜(しも)の巨人およびその一族と、牝牛(めうし)のアウズンブラが生まれた。アウズンブラから生まれた人間の姿をした神は、巨人族の娘を妻にして、オーディン、ヴィリ、ヴェーという三人の兄弟を作った。
ここでも無から神が生まれることや巨人という共通点が見られる。
オーディンは北欧の古文字のルーン文字を発明したとされる。ルーン文字はスカンディナヴィアでは1500年頃まで用いられた。
ゲルマン語派はインド・ヨーロッパ語族のうちの一語派。次の上側の文字がルーン文字で、下側はゲルマン語派。
■紀元前4年
伊勢神宮
この年に内宮が伊勢に鎮座したとされる。
伊勢神宮の内宮(ないくう)の階段幅や軒先の高さも、2つの黄金比を重ねた時にできる比率。
内宮の平面図もちょうど黄金比の大きさになる。黄金比が見られる神道も、無を崇めた信仰という結論。
また伊勢神宮にも樹木信仰がある。式年遷宮(しきねんせんぐう)の用材となるヒノキを切り出す御杣始祭(みそまはじめさい)と、御木曳(おきひき)と呼ばれるヒノキを五十鈴川(いすずがわ)から内宮(ないくう)と外宮(げくう)まで運ぶ行事がある。この用材を御神木(ごしんぼく)と呼ぶ。つまり樹木を崇めている。
長野県の諏訪大社
長野県の諏訪大社(すわたいしゃ)は、全国に約2万5000社ある諏訪神社の総本社。創建や祭祀が始まった時期は不詳。ここにも御柱際(おんばしらさい)という樹木信仰がある。
御柱際(おんばしらさい)は、大木を山中から切り出し社殿まで運ぶ祭りで、御柱を氏子(うじこ)と共に傾斜約30度、距離80mの木落し坂から落とす。
しめ飾り
日本の正月のしめ飾りに使われるしめ縄は、2匹の蛇が絡み合った姿。しめ縄から垂れ下がる藁(わら)は雨を表す。これらは共通シンボルだった。
白いジグザグの紙垂(しで)は雷のシンボルを表し、トルコのギョベクリ・テペなどでもジグザグのシンボルが見られた。
しめ縄を丸く結び、その上部左右に藁が横たわっているしめ飾りの形は、他国の宗教でもシンボルとして見られる。
バビロニアの女神の手に、輪と棒(2本のヒモ)のシンボル。
エジプトのウラエウスの右隣に、輪と棒(2本のヒモ)のシンボル。
古代ペルシアのゾロアスター教の主神アフラ・アズダーも、王権の象徴の笏(しゃく)と丸い輪に2本のヒモがついた王冠を持っている。つまりしめ飾りの形も共通のシンボル。
ウロボロス
日本のしめ飾りの場合、2匹の蛇が絡み合いながら輪を作っていることになる。さらに1匹の蛇や竜が輪を作り、自分の尻尾を加えているウロボロスという図もある。次の画像は、エジプトのツタンカーメンの石棺のウロボロス。
ヒンドゥー教での自分の尾をくわえる竜(もしくは蛇)。蛇はギリシア語でドラコーンと言い、ドラゴンや竜となる。
メキシコのソチカルコ遺跡の神殿にも、ケツァルコアトルのウロボロスが見られる。ケツァルコアトルは羽毛の生えた竜で、これも無という結論だった。
茅(ち)の輪(わ)
多くの神社では茅の輪潜り(ちのわくぐり)が行われる。茅の輪はチガヤや藁(わら)で作られた大きな輪。チガヤも藁もイネ科の植物で、しめ縄も稲や麻などの藁(わら)が使用され、2匹の蛇を表していた。つまり茅の輪は、1匹の蛇が輪になった日本のウロボロスと考えられる。
綱引き
日本の一般的な綱引きとは、2つのチームが1本の綱を引きあって勝敗を決めるもの。その歴史は日本では1500年頃より見られ、神事や占いとして正月などに行われてきた。この場合、藁やカヤを使った縄を使用した。
つまり綱引きとは無を表す蛇を引きあっている構図ということ。この神事の意味はヒンドゥー教に見出せる。ヒンドゥー教のマハーバーラタの天地創造神話に、乳海攪拌(にゅうかいかくはん)という話がある。
「ヴィシュヌは多種多様の植物や種を乳海に入れ、次に化身の巨大亀クールマとなって海に入り、その背に大マンダラ山を乗せた。この山に竜王ヴァースキを絡ませて、神々はヴァースキの尾を、アスラはヴァースキの頭を持ち、互いに引っ張りあうことで山を回転させると、海がかき混ぜられた。攪拌(かくはん)は1000年間続き、乳海からは太陽、月、象、馬、女神など様々なものが生まれた。」
神々が引っ張り合ったのは蛇の姿のヴァースキ。ヴァースキは、インド神話に登場する蛇神の諸王ナーガラージャでもあり、ナーガラージャは2匹の蛇が絡み合った姿。つまり綱引きが表しているのは天地創造(ビッグバン)。
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