意識的な無心を毎日繰り返していくと、思考に頭が占められた時も、それに気づくようになる。こうして一日の中で無心の時間が増えるごとに、思考が生み出す苦しみは減っていき、静かに止んでいることが習慣化されてくる。心が静かでない人は思考グセがついている。ネガティブな考えが多い人は、鬱(うつ)になることもある。
この方法で一つ大事なことに気がつく。頭を無心にしていても勝手に思考が始まり、過去を思い出し始めたりして、怒りや悲しみの感情が沸き起こる。それは自分でも気づいていないほど昔の思い出や、心の傷、劣等感だったりもする。この思考の習性を知らない人は、勝手に起こる思考に感情が振り回され、怒ったり悲しんだりして苦しむことになる。しかしこういった思考が起こった時も「これは一時的で、無心になれば思考も苦しみも止む」と知って無心になれば、やがて穏やかな状態、静寂の状態、落ち着いた状態にとどまれる。ただ強烈な怒りや不安が起こる場合は、落ち着くまでに時間はかかる。
ここで理解できることは、無心の時、人間の心は穏やかになり、平和になる。一般的な価値観である何かを得たり達成したりして得られる幸せ、喜びは一時的で、時間が経てばそれらは薄れ、再び欲望が現れ、それが執着となり、苦しみが始まる。幸せと苦しみは表裏一体で交互にやってくる。そこに穏やかさはない。永続的な穏やかさは心を無心にした時だけ得られ、それは思考を止めるだけ。思考が頭を占め、何かに執着するほど苦しみが生まれるので、その過程をよく観察し、その気づきを得ていけば、より簡単に頭に刷り込まれた苦しみを生み出す思考パターンから抜け出しやすくなる。
幼稚園児の時は思考力がそこまで発達していないので自我も弱く、悩み事も少なく、常に楽しそうに過ごせる。怒られてもケンカしても、10分もすれば何事もなかったかのように過ごす。10歳頃から第二次成長期に入ると体つきが大人になり、思考力も高まって自我(エゴ)も強くなる。するとその分、悩み、妬み、劣等感、苦しみ、争いが増えてくる。
思考を止め、無心になるというのは何もせずにじっとしている時もあれば、無我夢中で何かをしていることもある。ただ頭を無心にしていると、そこに直感が入ってくるので、あとはそれに身を任せるだけとなる。思考を使うことは悪いことではなく、何か計画を立てたりする時は使う。それ以外の時は思考を沈めておく。無心になるのに生活環境を変える必要はなく、仕事を続けていても、日常生活を送りながらでもできる。
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