積極的安楽死の条件は、明確な患者の意思を前提、耐えがたい苦痛がある、回復の見込みがない、代替治療がないなどで、措置は医療従事者が患者に致死薬を投与する。
自殺幇助の条件は、積極的安楽死と同様で、措置は医療従事者から処方された致死薬を患者自身が摂取して自ら命を絶つ。
消極的安楽死(尊厳死)の条件は、本人の意思を前提、回復の見込みがない病、終末期にあることで、措置としては延命のためだけの治療を中止し、死期を早める。
2024年に世界196ヵ国ほどある中で、安楽死を合法化しているのは次のような国々。
・積極的安楽死と自殺幇助を認めている国
スペイン、ポルトガル、ルクセンブルク、オランダ、ベルギー、ニュージーランド、コロンビア、オーストラリアの複数の州、カナダ。
・自殺幇助だけを認めている国
スイス、オーストリア、イタリア、米国の複数の州。
日本や韓国では、患者本人の意思表示に基づく消極的安楽死は実施できることになっている。
安楽死や自殺など自らを死に追いやる行為については、その国の宗教とも関係しており、基本的に禁止されている。
キリスト教やイスラム教の多くの宗派も反対の立場で、自殺、殺人は重大な罪であり、天国ではなく地獄へ行くとされている。ユダヤ教でも安楽死や自殺は禁じられている。
仏教やヒンドゥー教では、故意に命を終わらせる行為は悪いカルマを生み出すとしている。それは未来の生まれ変わりに悪影響を与え、苦しみはなくならず連鎖すると考えられている。安楽死を手伝った医師についても、悪いカルマを生み出す危険な行為と見られることがある。
これら5つの宗教は世界人口の約78%ほどを占めている。それぞれの宗教の中にも宗派や人によって考えが違ったりすることがあり、全ての人が反対しているわけではない。
実際に仏教の開祖である釈迦は自殺を認めていなかったが、3つの条件に当てはまる時の自殺は非難しなかったという見方もある。それは、出家者であること、彼らに深刻な苦しみがあってそれを取り除く代替手段がないこと、そして彼らが真理を悟り解脱を達成した後であれば、この世で成すべきことは何もないとして自殺は認められた。
他にも死ぬ可能性はあるが人生の目的のために行動を起こして死ぬのは良しとされたり、誰かを助けるために死ぬのは良いという仏教の見方もある。
安楽死については宗教の影響もあり、多くの国で賛否が分かれている。また世界には無宗教の人もおり、宗教の影響を受けない人もいる。調査方法によるが、2022年の世界人口の約79億人中、16%の約12億6400万人が無宗教という報告がある。国別の無宗教の人口割合は中国の約52%が一番多く、二番目に日本で約62%、三番目に北朝鮮で約71%、四番目にチェコ共和国で76%、五番目にエストニアで約60%。五大陸別の平均では、オセアニアで約24%〜36%、ヨーロッパで約18%〜76%、アジアで21%、北アメリカで23%、アフリカで11%となっている。ヨーロッパの数値の幅が大きいのは、チェコやエストニアなどの国々では非常に高い無宗教率を示す一方で、比較的低い割合の国々もあり、ばらつきがあるため。
伝統的に死を選ぶことは禁止されていたとしても、実際に目の前で家族や友人が激痛で長期的に苦しんでいて、それが治る見込みもなく、毎日寝たきりで自由に動けず、食事もトイレも誰かの助けを必要とし、そして本人が死を望んでいるのであれば、もう楽にしてあげたいと思う人もいる。
苦しんでいる患者の安楽死が認められなければ、死ぬまで生き地獄が続く。反対に認められればそれが希望となり、実施されるまでの期間少しは心が軽くなって、今のうちにできることはやっておこうと前向きな心が芽生えるという人もいる。
ただ安楽死を合法化すると、それを安易に利用する人、社会的圧力で強制的に利用させられる人が増えると懸念する声もある。特に高齢者、低所得者、身寄りのない人、体の不自由な人などだが、安易な利用を防ぐためにすでにある積極的安楽死や自殺幇助の条件を用い、複数の医師による承認も得て行うことが必要となる。そして残された家族が後々後悔しないように、患者と家族が充分に話し合った上で決定する。
安楽死を望む多くの人は、人生に絶望していることが多い。絶望も「私」という自我があるために起こる。絶望やひどい苦しみが続くと、もうそれ以上苦しみたくない、苦しみから解放されたいという思いが強くなる。その時、苦しみの理由が心にあることに気づき、無心になって自我を克服しようと、強い思いで取り組み始める人もいる。ただ痛みで気が滅入っている患者全員が、それに積極的になれるのかという側面もある。
また安楽死の他にもう一つ死期を早める方法がある。それは自発的飲食中止(VSED)で、食べることを止めて死を迎える方法。オランダではある年、自発的飲食中止で年間約2500人が亡くなったという調査もある。
日本でも終末期の緩和医療に携わる医師の約3割が、自発的飲食中止で死を早めようとする患者を診たことがあるという調査結果もある。
自発的飲食中止の場合、水分摂取をほぼゼロにしてからでも、死亡まで通常1週間は経過する。医師によって適切なサポートがあれば、平穏に死んでいける方法と述べている医師もいる。
インドのジャイナ教でも古くから同様の行為が行われており、サッレーカナーという。これは徐々に食事の量を減らしていき、最終的に断食による死を選ぶ。これが認められるのは、末期の患者で、飢饉など食糧が得られないときや、老齢で機能を喪失している場合、病気で回復の見込みがない場合とされており、僧侶の監督下で行われる。これは自殺のような衝動的行為とは区別されている。また仏教と同じく、人生のすべての目的を達成したか、または人生の目的をとげることを身体が許さなくなったときに行われるとされている。
プラウトヴィレッジでは人間の内側の目的として自我の克服を推奨しているため、その目的を果たすまで自発的飲食中止も安楽死も自殺も推奨はしないが、不治の病で死ぬまで激痛に耐えなければならない人など、一定の条件に当てはまる人たちに選択肢を残す必要もある。
そのためプラウトヴィレッジとして安楽死の公認医師を選定し、場所も限定された状態で行うことになる。当然その医師も、自分の意思で行う人物に限る。そして積極的安楽死、自殺幇助、消極的安楽死、自発的飲食中止のどこまでが対応可能かを議論した上で決定する。
長生きするのが良くて短い命が良くないのか、意識が戻る可能性はほぼない患者に点滴で栄養を与える延命治療が良いのかどうなのか、死に直面した患者、その家族、宗教などそれぞれに考え方、感じ方があり、安楽死を禁止する、しないという二極論では答えはでない。そういったこともあり、それぞれが自己責任で選択するということになる。
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