○自我 [6]

 弱々しい態度や自己主張できないことは、自我が薄いということではない。それらの裏には自信のなさや、嫌われたくないという自己保身、頑固さなどが隠れている。無心であると、これらに囚われない普通の態度となる。


自我は成功した人が手の届く範囲にいると妬み、手の届かない範囲にいると崇める。




自我は目の前で誰かが得しそうにしてると邪魔したくなる。


大小の成功をすると、必ずどこかで誰かに妬まれる。もっと欲しいという自我を克服できていない社会では、誰もが不足感を感じている。よって好きなことをしていない人やうまくいっていない人にとっては、好きなことをしている人の話はまぶしく自慢話に聞こえることがある。


自我は損得を考えるため相手の前では笑顔で話し、その人がいなくなったら悪態をつく。こういうことを知らなければ人間不信になることもあるが、自我はこういう付き合いが普通なので気にしない方がよい。


人間が争うのは自我があるため。


人間嫌いの人は相手そのものではなく、相手の「私」という自我の言動を嫌っている。だから子供や動物は好きだったりする。思考力が発達していないものは邪気がない。思考力が発達していても自我が薄い人もいる。


人見知りも自我。相手と何を喋っていいかわからない、相手にどう思われるか気になる、などはすべて思考。無心になるとそういう考えは浮かばず、積極的に話しかけることも消極的になることもなく、普通に話したり黙っていたりする。


会話が止まった時の沈黙に耐えられないというのは不安であり思考。無心になると気にする思考がない。


劣等感が強いとその反動で大きく見せたい、偉くなりたい、そう思われたいという動機から、何かを作り出す力が生まれることがある。事業を始めたり、権力や肩書きを求めたり、派手になるなど。


劣等感や妬みが強い人は普段の会話で相手に恥をかかせたり、気にしていることをあえて指摘することがある。すると自分が優位に立ったように感じる。その場は勝ったように錯覚しているが、長い目で見ると嫌われる。性格が悪ければ良好な人間関係も維持しづらく、どこへ行っても同じような人間関係が生まれる。


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