物質はいつか必ず崩壊する。家も植物も体も太陽も。この世界で永遠と続くものは意識だけ。
葉は始めは水々しくて柔らかく、やがて干からびて硬くなり散る。人間の体も若い時は水々しくて柔らかく、歳を取ると固くなって水気もなくなり、最後に死ぬ。心も素直で柔軟で前向きな人は自我の影響が薄く若く見られ、強情で聞く耳を持たず固定観念に縛られた人は自我の影響が強い。年老いても心の若い人はおり、若くてすでに老いたような人もいる。
赤ん坊は蜂が刺してくる知識がないため、蜂が飛んできても恐怖を抱かない。大人は蜂が刺すかもしれないことを知っており、それは痛く、恐怖で、とっさの防御反応として出る。つまり過去の記憶から来る思考と行動で自我の防御反応。蜂に刺されそうな赤ん坊を、母親が捨身で追い払おうとする行動は愛情からくる行動。つまり意識からくる直感的行動。
世の中を観察すると傾向が見えてくる。例えば世のため人のためを思って行動すれば、その人は誰かから喜ばれ感謝される。反対に自己中心的な考えで行動すれば他人から嫌われる。人にプレゼントすればお返しをもらえ、人を殴れば殴り返されたり逮捕されたりする。つまり思考が前向きか後ろ向きかで、その後に起きる現象もそれに応じたものとなって返ってくる。
思考は良い思いで使えば良い結果が返ってくる。悪い思いで使えば悪い結果が返ってくる。
疲れている時、イラだっている時は何かしら問題が起こる。後ろ向きな思考は後ろ向きな出来事を生む。
自我の視点で見れば「私」の人生。意識として在ると、「私」も「私の人生」もない。唯一である意識は「私」の誕生前からあり、誕生後もあり、死んだ後もある。意識として在るとき、生死を超越する。
自我がある限り問題と苦しみが生じる。その苦しみは自我に気づかせるきっかけで、敵ではない。攻撃、妬み、恨み、劣等感、執着心などの感情は苦しみを生み出すが、その出来事は自我に気づくためのきっかけ。過去に克服できていない感情があれば、それを克服するための出来事が起こる。
自分が自我に囚われていたことに気づくと、人間の歴史は自我に囚われてきた歴史ということが見えてくる。
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