○自我 [12]

 意識は思考がなくても在り続けるが、思考は意識がないと働かない。


日常生活で妄想することがある。妄想は思考で、何かを期待した物語、不安に関する物語などを作る。睡眠中に見る夢も、思考が日中に経験した出来事から作り出した物語や、直感的なものを見ているということがある。



何かを得る喜びは一時的。自我が強いほど、どれだけ得ても満足することはない。


思考力は道具。携帯電話と同じで使いこなせば便利だが、依存すれば振り回され中毒となる。


アルコール中毒、薬物依存症、ゲーム中毒などの中毒症も、過去の心地良かった、気持ちよかった、楽しかった記憶が無意識な思考として心を占拠し、その人の言動を支配する。だから何度も同じ行動を繰り返す。突発的な思考に無意識ということ。


お金の社会では自我の喜ぶものが売れる。刺激的なもの、中毒性のある物、スキャンダル。薄味よりも濃い味、甘い味。静かな人より喋り上手や面白い人。自然の風景よりもエンターテイメント、映画、ゲーム、格闘技、スポーツ。すべて五感を刺激し、それによって退屈しない。いつも何かを求める自我は喜ぶ。静かで動きがないものを自我は嫌う。ただうるさい場所で疲れた後、静かな所に出て穏やかさを感じることがある。それが意識として在る状態の心地よさ。


自我は常に何か刺激を求める。それに慣れていると無心になることは退屈に感じる。そうなると無心への真剣味は下がり、3日後には忘れている。無心への取り組みは三日坊主で終わりやすい。本気の決意と長期の継続がいる。


何かを見て記憶に残ると、ふとした時にそれを思い出す。それがわかりやすかったり、覚えやすいものであったり、中毒性のあるものならなおさら。それをいつも見ていると、親近感をおぼえる。突発的な思考に無意識であると、その思考に身体が反応する。すると物を買ったり、そこへ行ったりと行為をする。広告宣伝がわかりやすい例。


自我は競争で勝って利益を得るため、科学技術を発達させる。しかし科学が発達しても、人間の無心への取り組みが発達しなければ自滅する。


人は死を恐れて苦しむが、死がなかったとしても老いに苦しむ。そう考えると死の見え方が変わる。


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