この頃、イエス・キリストが誕生したとされる。キリスト教の悪魔バフォメットは山羊の頭を持っている。雄(おす)の容貌だが、胸の膨らみがあるなど両性具有の特徴がある。無も女神像としてや、ゼウスやミトラのように男神として、男女二つの面を持って表される。
バフォメットの腹部に、2匹の蛇の杖カドゥケウスが見られる。これもアイオーンの足元に描かれていた。
山羊(ヤギ)の頭は、サバジオスの手に描かれている。
バフォメットの両手の形が、サバジオスの手と同じ形になっている。
バフォメットの両側に三日月が描かれている。これもサバジオスの手に乗る人物の頭の上や、古代エジプトの装飾品のホルスの目の上部にも見られた。つまりバフォメットも無をシンボル的に表したもの。
また、キリスト教で光をもたらす者という意味をもつ堕天使(だてんし)にルシファーがいる。明けの明星(みょうじょう)という意味であり、堕天使の長であるサタンの別名。
南米のケツァルコアトルも、明けの明星と言われている。その耳には黄金比も見られた。
旧約聖書の創世記でサタンは最初の女性イヴに嘘をついて騙し、神から食べると死ぬと言われていた善悪の知識の木の実を食べさせた。ここでのサタンは木に巻きついた1匹の蛇として描かれている。同じ構図は、アイオーンの体に巻きついた蛇やアスクレピオスの杖として見られた。
ルシファーと双子の兄弟と言われることもある大天使ミカエルは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教においてもっとも偉大な天使の一人。ミカエルは右手に剣、左手には魂の公正さを測る秤(はかり)を持つ姿。秤(はかり)もサバジオスの手で見られたシンボル。
イエス・キリストにも同じ共通点が見られる。1100年代に制作されたアギア・ソフィア大聖堂のキリストの絵と、1118年のキリストのモザイクに描かれた聖母マリアと小さなキリストの手は、バフォメット、サバジオスの手と同じ形になっている。
密教の阿吽(あうん)の2字はサンスクリット語の最初と最後の文字で、始まりと終わりを表し、無を表す言葉だった。キリスト教の新約聖書では、ヨハネの黙示録で次のようにある。「わたし(イエス・キリスト)はアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」
さらにヨハネの黙示録には、次のようにある。「わたし(イエス)は、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である」。つまりキリストは明けの明星であると述べている。ルシファー、ケツァルコアトルも明けの明星だった。これらが意味するところは、キリスト、バフォメット、ルシファー、サタン、大天使ミカエルは無のシンボルということ。
仏教でも、明けの明星という言葉が見られる。釈迦(しゃか)は12月8日の夜明け近く、明けの明星が輝く頃、35歳でついに悟りに至った。悟るということが無である意識として在ること。その時のナーガに守られたブッダ像では、下から蛇が巻きついて、頭の上から顔をのぞかせている。同じデザインはアイオーンにも見られた。
ナーガは釈迦が悟りを開く時に守護したとされる蛇神(じゃしん)。仏教の八大竜王の多くが、もとはインド神話のナーガラージャのこと。ナーガラージャとは2匹の蛇が絡み合った蛇神。
アフガニスタン東部のガンダーラの仏陀像では、共通のシンボルも見られる。
仏陀の光背の縁(ふち)のジグザグ模様。ギョベクリ・テペの石柱や、黄金比がある中国の銅鏡でも見られる。
仏陀の足首の左右に菱形模様。これはギョベクリ・テペの石柱やペルセポリスの壁画に見られた。
ガンダーラの仏陀像は右の手のひらを見せている。このポーズもタニトとともにシンボルとして見られる。タニトにも三日月、太陽、ジグザグ模様が見られ、共通のシンボルという結論だった。
手のひらのシンボルは、紀元前2万年頃のヨーロッパの洞窟壁画でも見られた。
つまり手のひらを見せるポーズも共通のシンボル。次の中央の画像の女性も、右の手のひらを見せている。その上に左から太陽、リンガ(男性器)とヨーニ(女性器)、三日月がある。リンガは右の画像のシヴァの象徴で、シヴァも1匹の蛇、三日月、三叉槍(さんさそう)があり、手のひらを見せている。日本の大仏も同じポーズだが、つまり全ては共通シンボルで表されている。
ヒンドゥー教の釈迦(仏陀)はヴィシュヌの化身と見られている。ヴィシュヌは蛇神ナーガラージャと共に描かれる。ナーガラージャは2匹の蛇。またヒンドゥー教の神話では、原初の大洋の上にヴィシュヌが巨大な体をアナンタという大蛇の上に横たえ眠っているとある。無から神が生まれる他国の創成神話との類似からも、ヴィシュヌは無という結論。
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