月のウサギ

古代インドの仏教説話集のジャータカの第316話には、釈迦(しゃか)の過去世の一つがウサギだったという話があり、それが日本に伝わり月のウサギの物語となっている。この類似の話はアステカにも見られる。

 昔、釈迦はウサギとして生まれ、ある森に住んでいた。このウサギにはサルと山犬とカワウソという友達がいた。この4匹の賢い生き物は一緒に暮らしていて、それぞれが自分の狩り場で食べ物を手に入れ、夕方になるとまた集まってきた。知恵のあるウサギは3人の仲間に真理を説き、施しをすること、道徳律を守ること、聖なる日を守ることを教えた。彼らはその教えを受け入れて、それぞれ森の中の自分の場所に行き、そこに住むようになった。
 ある日、ウサギは空を観察し、月を見て、次の日が断食日であることを知り、3匹の仲間に言った。「明日は断食日だよ。三人とも戒律と聖なる日を守り、施しをすれば大きな報いがある。みんなのところに来た物乞いには、それぞれの食卓から食べ物をあげれば大丈夫だから」。彼らは快く承諾し、それぞれが自分の家で過ごした。
 翌日、カワウソはガンジス川の岸辺で埋まっている魚を見つけ、それを持ち帰った。山犬も畑仕事の小屋で2本の串とトカゲとミルク入りの壺を見つけて持ち帰った。サルは森からマンゴーを持ち帰った。一方ウサギは、もし誰かが施しを求めてきたら自分の体の肉をあげようと考えた。
 その気持ちを知った帝釈天(たいしゃくてん)は、バラモン(司祭)の姿となってウサギたちの気持ちを確かめてみようと思った。まずカワウソの家へ行き、施しを求めた。そのようにして山犬、サルの家にも行くと、全員は快く食べ物を差し出してくれた。 
 そしてバラモンがウサギの所へ行くと、ウサギはバラモンに火を起こすように頼んだ。ウサギは自分が火の中に飛び込むので、焼けた体の肉を食べ、司祭としての勤めを果たしてほしいと伝えた。そしてウサギはバラモンが奇跡的な力で起こした燃える炭の山に飛び込んだ。ところがその火はウサギの体を焼くことはできなかった。不思議に思ったウサギが尋ねると、バラモンはこう答えた。「私はバラモンではありません。帝釈天です。あなたの徳を試すために来ました。賢きウサギよ、あなたの美徳をみんなに知らせよう」と。こうして釈迦は山を絞って得たエキスで、月の表面にウサギの絵を描いた。



中国の618年907年の唐の時代にも月にウサギの話は伝わっており、月の中にカエルも見られる。次の画像は月兎双鵲八花鏡(げっとそうじゃくはっかきょう)という唐の銅鏡。




700年代前半の唐。

中国ではヒキガエルを月の精と考える。捜神記(そうじんき)という300年代の中国の小説集には、月に住むヒキガエルの話がある。

「月の精」
羿(げい"弓の名人")は西王母(せいおうぼ)から不死の仙薬をもらったが、妻の嫦娥(じょうが)がそれを盗んで月へ逃げようとした。いざ逃げ出そうというときに、嫦娥が有黄に吉凶を占ってもらうと、有黄は筮竹(ぜいちく"50本の竹ひごのようなもの")を数えて、 「吉だ。軽やかな帰妹(きまい)、ただ一人西方へ旅立とうとしている。途中で天が真っ暗になっても、 恐れたり驚いたりしてはならぬ。やがては大いに栄えるであろう」と言った。 こうして嫦娥は、月に身を寄せたのであった。これが蟾蠩(せんじょ"ヒキガエル")である。

奈良県の中宮寺にある622年の天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)という刺繍遺品には、左上に月にウサギが見られる。

1428年頃から1521年までメキシコ中央部に栄えたアステカでは、ウサギは狩猟の神ミシュコアトルとも同一視された。次の画像は1500年代のアステカの月の中のウサギで、この頃スペインに征服される。その植民地時代のフィレンツェ絵文書という手書きの写本より。
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インドのジャータカでは、ウサギが火の中に飛び込み、最終的に月に描かれるという話だったが、アステカでも類似の話が見られる。次の文章はフィレンツェ文書と太陽の伝説をもとに再現した話の要約。

「五番目の太陽の創造」
 大地と人間、そして食物と飲物を創造した後、神々はテオティワカンに集まり、暗闇のなかで、 世を照らす次の太陽には誰がなるべきかを相談した。するとテクシステカトルという傲慢な神が進みでた。ほかの神々はもう一人の候補として、病を患っている謙虚な神、ナナワツィンを選んだ。
 供物を燃やす薪(まき)が準備され、テクシステカトルとナナワツィンが断食と苦行を行なう丘がつくられた。この二つの丘が、今の太陽と月のピラミッドなのである。

 四日間の苦行が終わり真夜中になると、神々は二人に服を着せ、神々は火をとりかこんだ。火は四日間燃え続けていただけに、すさまじい熱さになっていた。神々は火の両側に立つと、テクシステカトルを呼び、炎のなかへ飛び込むように命じた。それを聞いて、テクシステカトルは火のほうへ走っていきかけたが、燃えさかる炎を前にすると、とたんに足がすくんでしまった。そこで彼はもう一度やり直したが、やはり足がすくんでしまった。四回も試したが、何度やっても同じことであった。とうとう神々はナナワツィンを呼んだ。 すると、彼はあっという間に走っていって火のなかへ飛び込んでしまったのだった。彼は少しも恐くはなかった。途中で止まることもなかった。後ずさりもせず、振り返りもせず、あっという間に火のなかへ飛び込んでしまった。そうして彼は燃えた。
 ナナワツィンの勇敢な最期を見とどけたテクシステカトルは、ついに腹を決め、自らも炎に身を投げて焼き死んだ。

 こうしてナナワツィンとテクシステカトルがいったん焼け死ぬと、神々は彼らが再び現われるのをじっと待った。東の方角を見つめているとナナワツィンが姿を現わした。それはもう以前の貧弱な、みすぼらしい彼ではなかった。ナナワツィンは太陽神トナティウとなって蘇り、四方へ太陽光線を放った。そうして現われた太陽は、燃えるように赤く、光で目がくらみ、誰もその顔を見ることができなかった。
 その直後、テクシステカトルも東の空に昇り、トナティウと同じように輝きはじめた。二人の輝き方があまり似ているので、神々もこれでは世界が明るくなりすぎるのではないかと思った。 そこで一柱の神が走りでて、テクシステカトルの顔にウサギを一匹投げつけた。すると傷ついた月の輝きは太陽よりも弱まり、満月にはウサギの姿が見えるようになった。

南部アフリカのコイコイ人にも、月とウサギに関する神話がある。ただ物語は似ていない。
人が死ぬようになったのは、他の多くのアフリカの伝説と同じように、伝達者の神話によって説明されている。月は野ウサギに、人間は永遠に死なないというメッセージを託したと言われている。野ウサギが混乱して人間に、彼らは蘇らないという情報を伝えたとき、月は非常に怒り、野ウサギの唇を強力な一撃で引き裂いた。

インド、中国、日本だけでの広がりであれば仏教の普及とともにと考えられる。これがメキシコまで広がっているとなると、アステカ文明もアジアからの宗教の影響を受けているということになる。

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