■720年 日本書紀と鏡

日本書紀が完成する。

日本書紀の創成神話では「無」を鶏(にわとり)の卵のような混沌と表していた。その時、天地の中に一つの神、国常立尊(くにのとこたちのみこと)が生まれる。

この日本書紀では八咫鏡(やたのかがみ)が登場する。これは天孫降臨(てんそんこうりん)の際、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から邇邇芸命(ににぎのみこと)に授けられ、この鏡を天照大御神自身だと思って祀るようにとの神勅(しんちょく)が下されたとある。これは宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅と呼ばれている。そして八咫鏡(やたのかがみ)は神宮と皇居で保管され、皇居のものは神宮の物の複製とされている。こういったこともあり、日本の神社や神棚でも神鏡として祀るなど鏡を神聖なものとして扱ってきた。

中国や日本の銅鏡にはジグザグ模様や黄金比の渦模様が見られ、共通シンボルで表したものという結論だった。次の銅鏡は方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)と呼ばれ、T字のデザインが4つ見られる。これは曼荼羅(マンダラ)と同じデザイン。曼荼羅も無を表したものという結論だった。つまり銅鏡含め鏡自体が無を表している。

次の前漢の1世紀の時代の方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)には、鏡架(きょうか)という鏡を置く台があり、神社の神鏡と似たデザインとなっている。このように八咫鏡(やたのかがみ)、神鏡、銅鏡、鏡架(きょうか)、鏡も無を表している。


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