稲妻、三叉槍、金剛杵、ヴァジュラ 2/2

インド神話におけるシヴァの武器も三叉槍(さんさそう)。つまりこれらも共通シンボル。

さらに三叉槍(さんさそう)は、中国三大宗教の儒教・仏教・道教のうち、道教の最高神格の三清(さんせい)も表す。

ギリシア神話の主神で全知全能の神ゼウスも、手に金剛杵(こんごうしょ)を持っている。ゼウスは天空神として、全宇宙や雲・雨・雪・雷などの気象を支配していた。ゼウスはローマ神話ではジュピター(ユーピテル)と呼ばれている。

別のゼウスの像には2羽の鷲(わし)が見られ、上の画像のジュピターの隣にも鷲(わし)がいる。

稲妻の道具は金剛杵(こんごうしょ)やヴァジュラと呼ばれ、インド神話ではインドラ(帝釈天)の武器。インドの聖典バガヴァッド・ギーターでは「私(プルシャ、ブラフマン)は武器のうちのヴァジュラ(金剛杵)である。」と述べられている。プルシャもブラフマンも無のシンボルだった。

仏教の金剛力士(こんごうりきし)も、金剛杵(こんごうしょ)を持つ。口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の二体を一対とし、寺院の表門などに立っている。阿呍(あうん)は神社の狛犬とも同じで獅子像でもあるので無のシンボルだが、つまり金剛力士(こんごうりきし)も無をシンボル的に表したもの。一般には仁王(におう)の名で親しまれている。密教ではこの阿吽(あうん)の2字が存在する全ての始まりであり、究極を象徴するとされる。「阿(あ、a)」はサンスクリット語のアルファベットの最初の文字で、「吽(うん、huum)」は最後の文字。つまり始まりと終わりを表す。それを漢字で表現したものが阿吽(あうん)。つまり無を表す言葉。

執金剛神(しゅこんごうしん)も金剛杵(こんごうしょ)を持ち、インドではヴァジュラパーニと呼ばれる。これは金剛力士(こんごうりきし)と同じ。ただ金剛力士は2人の裸姿(はだかすがた)だが、執金剛神(しゅこんごうしん)は1人の武将姿。これはギリシア神話の英雄ヘラクレスが起源とされている。ヘラクレスは「獅子の毛皮を身にまとい、手に棍棒を持つ髭面の男性」。ローマ・カピトリーノ美術館にあるヘラクレスの像では、両手に2匹の蛇をつかんでいる。

つまり2匹の蛇でヘラクレスも無を表し、手に持つ棍棒はデザインの違う金剛杵(こんごうしょ)となる。棍棒もシンボルとして、インドの聖典バガヴァッド・ギーターの中でも見られる。アルジュナは聖バガヴァッド(私、プルシャ、ブラフマン、=無)に、あなたの姿が見たいと述べた。そして姿を見せた聖バガヴァッドに対しアルジュナは言った。「神よ、私はあなたの身体のうちに神々を見る。(中略)王冠をつけ、棍棒を持ち、円盤を持ち、一切の方角に輝きわたる光輝の塊であるあなたを見る」と。

仏教の金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)も金剛杵(こんごうしょ)を持ち、さらに蛇1匹も持つ。

仏教の金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)がいる五大明王で中心となる不動明王(ふどうみょうおう)も、ヒモ状の金剛杵(こんごうしょ)を持っている。また剣の持つ部分が金剛杵(こんごうしょ)になっている。不動明王は大日如来(だいにちにょらい)の化身とも言われる。

他の五大明王の降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)も金剛杵(こんごうしょ)を持ち、蛇が体に巻き付いている場合もある。つまり五大明王も無の共通シンボルで表されたもの。

仏教の五大明王の大威徳明王(だいいとくみょうおう)は、阿弥陀如来(あみだにょらい)と文殊菩薩(もんじゅぼさつ)のこと。阿弥陀如来(あみだにょらい)で有名なものは鎌倉の大仏。奈良の大仏は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と呼び、密教では大日如来(だいにちによらい)と同じで、その化身が仏教の五大明王の中心となる不動明王。つまり鎌倉も奈良も、どちらの大仏も無を表す。奈良の大仏はゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏で、宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏とされている。

このようにメソポタミアのアッカド神話、ギリシャ神話、ローマ神話、インド神話、ヒンドゥー教、仏教、密教はシンボルでつながっていて、その神もシンボルもすべて無を表す。

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