無とは意識

チベット仏教の創世神話も他宗教との共通点が見られたが、その中のチベット死者の書では意識を空(くう)、つまり無と表している。
空なるものの本質は明晰(めいせき)であり、明晰なるものの本質は空なるものである。明晰であり空であることが不可分(分けたり切り離したりできないこと)となっている意識は、赤裸々で生のままにむきだしの状態のものである。あるがまま、自然のままで無造作の状態のものである。これこそが本質を構成する自性身(じしょうしん=スヴァバーヴァ・カーヤ)にほかならない。そしてまた、この自性身自体の働きは、他に妨害されることがなくて、何にでも現れることができる。それが慈悲を本質とする化身(ニルマーナ・カーヤ)なのである。

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