法隆寺は607年に聖徳太子によって創建されたとされる。
法隆寺は607年に聖徳太子によって創建されたとされる。
法隆寺の若草伽藍(わかくさがらん)の、黄金比の装飾がある軒平瓦(のきひらがわら)。
金堂の階段幅は、2つの黄金比を重ねたときにできる比率。
中門(ちゅうもん)の内側の柱は、下の方が太く、上に行くにしたがって細くなっている。これはエンタシスの柱と呼ばれ、ギリシャのパルテノン神殿でも見られる。
パルテノン神殿もサバジオスの浮き彫りと同じ建築デザイン。
法隆寺の金堂には、釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)、薬師如来像(やくしにょらいぞう)、阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)の3組が安置されている。これらにも黄金比、光背、手のひらを見せるポーズの共通シンボルが見られる。
東院伽藍(とういんがらん)の夢殿(ゆめどの)は八角堂。八芒星もシンボルとしてメソポタミアで見られた。
夢殿(ゆめどの)の救世観音(くせかんのん)立像の渦模様も黄金比となっており、その数は膨大。
法隆寺の五重塔には、侍者像(じしゃぞう)という像があり、馬頭形(ばとうぎょう)、鳥頭形(ちょうとうぎょう)、鼠頭形(そとうぎょう)という3つの像がある。顔がシュメールの爬虫類人に似ているが、細かく見比べるとくちばしや服装のパターンが奈良県の興福寺(こうふくじ)の迦楼羅像(かるらぞう)と同じ。奈良県の興福寺の創建は669年、法隆寺の創建は607年とされ、年代も場所もほぼ同じ。
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