日本書紀と鏡

日本書紀が完成する。


日本書紀の創成神話では「無」を鶏(にわとり)の卵のような混沌と表していた。その時、天地の中に一つの神、国常立尊(くにのとこたちのみこと)が生まれる。

この日本書紀では八咫鏡(やたのかがみ)が登場する。これは天孫降臨(てんそんこうりん)の際、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から邇邇芸命(ににぎのみこと)に授けられ、この鏡を天照大御神自身だと思って祀るようにとの神勅(しんちょく)が下されたとある。これは宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅と呼ばれている。そして八咫鏡(やたのかがみ)は神宮と皇居で保管され、皇居のものは神宮の物の複製とされている。こういったこともあり、日本の神社や神棚でも神鏡として祀るなど鏡を神聖なものとして扱ってきた。

中国や日本の銅鏡にはジグザグ模様や黄金比の渦模様が見られ、共通シンボルで表したものという結論だった。次の銅鏡は方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)と呼ばれ、T字のデザインが4つ見られる。これは曼荼羅(マンダラ)と同じデザイン。曼荼羅も無を表したものという結論だった。つまり銅鏡含め鏡自体が無を表している。

次の前漢の1世紀の時代の方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)には、鏡架(きょうか)という鏡を置く台があり、神社の神鏡と似たデザインとなっている。このように八咫鏡(やたのかがみ)、神鏡、銅鏡、鏡架(きょうか)、鏡も無を表している。


日本庭園

日本書紀には庭園と須弥山(しゅみせん)に関する記事がいくつかみられる。古墳時代の庭園は、古代から仏教世界の中心とされてきた須弥山を表す石の山のまわりに営まれているとされる。600年代前半の推古天皇も宮の南に須弥山と呉橋(くれはし、屋根と欄干"らんかん"付きの橋)のある庭を持っていたこと(日本書紀では「仍りて須弥山の形及び呉橋を南庭に構けと令す」)や、600年代後半の斉明(さいめい)天皇も池の畔(ほとり)に須弥山と呉橋(くれはし)を築いたとされる。こうして日本庭園には、須弥山形式や九山八海(くせんはっかい)を表したものが見られる。この2つは同じもので、どちらも須弥山となる石を中心とし、その周りに8つの山を模した岩が並べられる。

次の山口県の漢陽寺と島根県の万福寺の庭園に見られる山の頂上の岩が須弥山。その周りに8つの岩が置かれる九山八海(くせんはっかい)。

京都の龍源院(りょうげんいん)の龍吟庭(りょうぎんてい)。真ん中の縦に長い岩が須弥山。

曼荼羅(マンダラ)と同じ構図の須弥山は、無を表すという結論だった。つまり日本庭園の須弥山形式や九山八海(くせんはっかい)も無を表したもの。


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