神聖ローマ帝国とヨーロッパの双頭の鷲

紀元前27年からのローマ帝国の国旗には、1羽の鷲(わし)がデザインが見られた。ローマ帝国の東西分裂後、395年から東ローマ帝国で双頭の鷲が使用された。480年頃滅亡し800年に復興した古代西ローマ帝国という理念の神聖ローマ帝国も、国旗・国章ともに双頭(そうとう)の鷲(わし)を使用し、800年から1806年まで続く。この国はドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在した。


双頭の鷲(わし)はイランのジーロフト文化で見られた。

双頭の鷲は神聖ローマ帝国とハプスブルク家の紋章となり、オーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ国などにも継承された。ハプスブルク家は政略結婚により20世紀初頭まで、オーストリア大公国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国などの大公・国王・皇帝の家系となる。1472年にはロシア帝国も、16世紀にはスペインの国章も双頭の鷲(わし)になる。

東ローマ帝国の双頭の鷲は1453年頃の滅亡後、ギリシャ正教会、コンスタンティノープル総主教庁、セルビア、アルバニアなどに継承された。



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